Monday, March 21, 2011

釣り後観光ドライブ

ビッグホーン川での釣り合宿の後、空港まで他の参加者を車で送らなくてよいことになったので(私と同じく車で来た別の参加者が担当しました)、リトル・ビッグホーン戦場という国立記念碑に寄ってきました。ここに初めて寄ったのは2002年にコロラド州立大学での学会に参加した帰り道で、当時はかなり中古のトヨタ・ターセルを運転していて、カメラはもちろんインスタントでした。
さてこの戦場とアメリカ西部の歴史について簡単に説明すると、1860年代の南北戦争の後、ヨーロッパからの白人の移民がアメリカ大陸を西へ西へと土地や鉱山などと求めて開拓していったわけです。各々のネイティヴ・アメリカン(インディアン)の部族は彼らの領域を勝手に奪われ、居留地に追いやられていったのです。さらなる拡大と部族の征圧を試みた軍隊ともう耐え切れない怒りに満ちたいくつかの部族がこの地でぶつかって、ネイティヴ部族側がカスター将軍の第七騎兵隊をほぼ全滅に追いやったのです。戦いは1876年6月25日から26日まで続きました。1800のネイティヴのウォリアーに対し、第七騎兵隊はたったの600人。そのうえいくつかの部隊に分かれて行動したので、カスター将軍と従属した210名が討ち死にしたのです(合計260人ほど)。これは西部の歴史上白人の軍隊と部族間のほぼ最後の争いになりました。実は2002年に立ち寄った日は、6月25日か26日だったのです(はっきり覚えてません・・・・)。夏休みでもあったし、たくさんの人々が訪れていました。今回は春先のいそがしくない時期だし、時間もあるし、デジカメもあるからのんびりたくさん写真を撮りました。

観光センターの壁ですが、上は部族の言葉で下はその英語訳です。日本語訳できるかな?『平和という名のパワーを知りなさい』つまり『平和こそが最大の力だ』などと訳せるでしょうか。Black Elkとは『黒いヘラジカ』のことでこの言葉を言った部族の酋長の名前です。

センターの中には、おみやげ屋とちょっとした博物館があります。受付のおばさんに頼んでカスター将軍の前で写真を撮ってもらいましたが、おばさんはデジカメの使い方をよく知らなかったようです・・・・・

当時のネイティヴ・ウォリアーです。

この記念碑にはカスター将軍も含めて討ち死にした兵隊の名前が刻んであります。

この丘はLast Stand Hill(ラスト・スタンド・ヒル)と呼ばれ、しいて訳すなら、カスター将軍の最後の抵抗・最後の場所、といったところです。戦いが治まった後、駆け付けた軍隊によって死体はその場所に埋められたそうです。後に家族や政府などによって掘り起こされ、遺体は別の場所に葬られたそうです。黒塗りの墓碑はカスター将軍の遺体が発見された場所だそうです。

しかし、かなり広大な場所なんです!!

パノラマカメラでも収まりません。

後ろに流れているのは、リトル・ビッグホーン川です。いずれビッグホーン川に合流するのです。
この戦いで死んだ馬を悔やんだ石碑もありました。アメリカ西部では馬は気高い動物として扱われていますし、私も彼らを敬う人間の一人です。日本語のことわざ「馬耳東風」、「馬の耳に念仏」というのはいただけませんね。これらは愚かな様子の例えですよね。馬と接していると、彼らは絶対我々の言葉を理解していることに気付きます。
この戦いは白人とネイティヴ間の文化の相違から起こった訳なので、部族側を奉る記念碑も建立されたようです。改めて、私なんかはこの広大な大地と歴史において小さい存在でしかありません。

2002年に寄ったときは、学会での発表に神経をすり減らしたのと、ワイオミングとコロラドの大都市を運転するのに辟易してからだったので、モンタナに帰ってきてほっとした感じとこの圧倒的な光景と歴史に心癒されたことを記憶してます。
今回はガイド講習会を無事終えたことの息抜きはもちろんですが、日本の大震災への驚きと悲しみを少しでも癒してもらおうと立ち寄りました。癒してもらったと同時に、逆に我々は大自然と歴史のほんの一部でしかないということも考えずにはいられませんでした。
”人生一回切り”という考えはアメリカでも日本でも同じです。
なので厳しい状況ですが、モンタナでカウボーイとしてガイドとしてがんばります!!

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